ガッコ的世間の外は、案外広大なんスよね
正月ボケした頭でラグビーの大学選手権をテレビで見ていたら、お向かいの蒲鉾屋の三男坊がレギュラーで出場していた。
僕は小学校の後半で転校していて、おまけに当時の僕は大変内向的だったこともあり、彼とは一緒に遊んだ記憶はほとんどないのだけれど、それでも当時の面影は画面越しに窺い知ることができて、干支がそろそろ2回りしてしまおうかという僕でもそれなりに感慨深いものがあった。。。
なーんてことは実はさほどなくて(そりゃそうだ、彼との接点はほとんどなかったから)、関心を抱いたのは彼の卒業後の進路。ラグビーの実力を買われて某大手企業に就職するらしい。我らが同級生が必死こいて就職活動しても、ほとんど足蹴にされてしまうような超がつくほどの有名企業。おそらく、僕が受けても落ちる*1。
おそらく彼は、高校の頃からずっとラグビー漬けの日々だったと思う。大学も推薦で進学したと聞いている。言い方は悪いけれど、おそらく大学でもあまり学業には精進していないんじゃなかろーか。それでも、京大生がじゃんじゃん振り落とされる大企業に就職する。
僕はその話を聞いて、すげーよいことだなと思ったんです、よ。
高校でコツコツ勉強して難関大学に進んで、サークルやらバイトやらで大学生活を満喫して、いざ就職活動になったら採用人数の少ない総合職を狙ってみんな玉砕、なんてテンプレみたいな話を僕は去年さんざん見聞してきたし、自分もそのクチだし。
そんななかで体育会の部活に所属してろくすっぽ講義にも出席せぬままクラスメイトに代返を頼みまくって卒業要件ギリギリのヤツがOBだかなんだかのコネで大手飲料メーカーや大手機械メーカーに就職を決めていく。そんな姿を見て、(こちとら真っ当に学業に精進した自負もある分だけ)最初は腹立たしく思ったりもした。
けど次第にその気持ちが薄らいで、そんなルートがあることも許容できるようになってきたのは、なにもその採用方法にそれなりの理由*2が付随していることを知ったからではない。
「学校的世間」での尺度に基づく「成功」以外にも渡世の方法がある、ということを暗黙のうちに人々に提示してくれているよーに思えたから、なんですよ。
東証一部上場企業、とりわけ日経225採用銘柄のような企業って、まあまあ一般的には4大卒以上、学校歴で言えばMARCH関関同立以上が構成員のボリュームゾーンを占めている(よね?)。そのなかに、Fラン私大や高卒が割り入っていくのはすげー難しい。
ところが、実業団スポーツっていう回路を経由した就職は、競技の実力を考慮してくれるから学校歴の差を飛び越してくれる力があるんよね(それでも、早慶MARCH関関同立の比重は大きくなるけどさ)。極端な例だけど、ブラジルの子供たちが貧困から一発逆転を狙ってサッカー選手を夢見る、みたいなのに近いかもしれない。
「学校的世間」が幅を利かす世界って、このニッポン社会の中でやっぱり結構な比重を占めてるんですよね。官公庁とか大手企業とか、各種士業とか。そーゆーなかでは、やっぱ学校的価値観に順応できるほうが強いし、そこに順応できた人間同士で話をするから、順応度の低いヤツとは「話が合わない」。そして、そういう世界に参入できれば、そこそこ快適な生活を享受できるだけの禄を押し頂くことができる(ということにしておく。一般論ね)。
けど、陳腐な表現だけど、学校的世間とどーしてもソリが合わない人間なんてたくさんいるわけで、じゃあそーゆー人たちは年収1000万は無理で、一生単純労働に甘んじておきなさいとかDQNはワープワで十分とか、学校的世間の価値観に順応できなかったらあとは「勝者」に笑われながら貧困一直線だなんて、それじゃ世間はあまりにも絶望的だ。
そこで登場するのがスポーツなり芸能なりといった回路、あるいは自営業という回路なんじゃないかな。学校的価値観には適応できなかったけど、スポーツに秀でていたから学校的世間での地位が高い企業に参入できる、10代の頃はヤンチャしてたけど今は一人親方で結構良いカネ稼げてる、教育水準は都心部よりは低いけれど意欲もって農業経営したらちゃんと暮らしていけるetc.
「評価軸を複線化する」、っつーと“みんなちがってみんないい”の世界みたいでちと気持ち悪いけれど、要は僕が肯定したいのは「しっかりゼニカネ稼げる道が複数用意されている」ってこと。確かに学校的世間には参入できないけれど、自身の物質生活は十分充足できるので世を呪わずに済む、っていうのはすっげー大事なことだと思うんよね。
そういう意味で僕は祭礼やらフーゾクやら、ちょっとアングラな匂いのする世界には割と肯定的だったりする。それは、別回路として存在してよいもので、学校的世間の適応者たちが、自身たちの価値観*3にそぐわないからと遠ざけ、排除する対象にするのはどーかな、という気がするんよ。