【思考実験シリーズ】「田舎」におカネを投じる是非
政策に基づく地方への再配分って、賛否が分かれるじゃないっすか。
公共投資とか、戸別所得補償とか、〇〇なまちづくり推進事業とか*1。
「税金の無駄遣い」「非効率な投資」なんてのが反対する人の主な言い分かしら。
「地方切り捨て」「経済効率性以外の側面」、これは賛成派の言い分の具体例。
ところで、「地方も自分でお金を稼ごう!」って話には、あまり批判の声を聞かないと思うんですよ。
具体例がよく分かんないけれど、「葉っぱビジネス」とか、「黒川温泉」とかですか。
日経さんなんかよく、一面左側の連載なんかで「ほら、地方も頑張ればできる!」的な激励、してくれはるじゃないですか、アレですよ。
いずれも、循環する血液(=カネ)を血の巡りが悪い箇所(=地方)にも届けることを目的にした取り組みにもかかわらず、これほどまでに反応が異なるのはなぜなのでしょーね?というのが今回のエントリの出発点です。
* * *
賛・否と二分することが適用しやすいテーマなんで、下の図のように表にして考えてみました。
【1】はおそらく、地方で仕事をする人のボリュームゾーン。
暮らすためにはとにかく血液を自分の地内に持ってこないと、ってわけで手段問わず全力で我田引水、というところでしょうか。
もちろんその振る舞いを1人でこなしているわけではなく、再配分は政治屋のセンセに任せておいて、自分たちは普通に仕事をする。
本来、仕事をする部分だけ取り出せば地方も都市もあまり変わらないのでしょーが、再配分に頼って【1】から【2】に移行するタイプの人が散見されるので、【3】と同じよーに批判にさらされてしまいがち。
【2】補助金にぶら下がって食っていこうとする人。
マトリックスの都合上「自立戦略に反対」って位置取りになっちゃったけど、実際は「できることなら補助金でラクしてぇ」と考えてるタイプ、と言ったほうが適切でしょう。
一般的に反感を買うのは、あるいは一般的に持たれている「お上に依存した地方」イメージは、この立ち位置を想定してのことだと思われます。
もっとも、補助金にぶら下がっているのは地方/都市部で共通なんスけどねー。
官公庁関係の受注額が大きい大企業に勤めてはる人なんかも、ぶら下がりの仕組みが見えにくくなってるだけで、原理は「地方の土建屋*2」と変わんないすからね。
これで「うちは競争原理のなか切磋琢磨(ry」とか言っちゃうヤツは、「地方の土建屋」よりよっぽどタチが悪いと僕はうわ、よせくぁwせdrftgyふじこlp
【3】はごくごく普通のネオリベ。
自力更生を求めて再配分に反対するってゆーのは、昨今流行りの語り口ですよね。
このポジション取りをする人は、批判の矛先が「地方で生活を営むこと」そのものに向けられているわけではなく、「他人のふんどしで相撲をとる」側面に対して憤慨しているのだと思われます。
今回はネオリベ批判をするターンではないので止しますが*3、彼らの主張は「気持ちは分からんでもないがあんまりおもんない議論だよな」と思っています。
【4】が、ガチで「地方切り捨て」を検討してはる層なんじゃないかしら。
「再配分反対、自力更生を!」なんて日経の受け売りを叫ぶ【3】層を指して「地方切り捨て反対」なんて言ってちゃ甘いですぜ、日共も社民も*4。「良心的知識人層()」が本当に戦うべき相手は【4】だと、僕は思っとります。
だってこの層、「地方部に人住ませとくと非効率だから集住政策とか採ればいいんじゃね?跡地?原野に戻せばいいって」とか真顔で言いますからね。
ここまで主張が行き着くまでには、
・元々はネオリベだった。
・ところが民主主義という名のパワーゲームの拮抗のなかでは、「勝者or多数派が総取り*5」状態は実際には発生しにくい。
・じゃあ、その集団ごとツブしちゃえばいいんじゃね?
というような理路を経ているのだと小生は愚考する次第です。
* * *
僕はかなり【3】寄りの【1】、というポジション取りをしておるのですが、すっげー嫌な言い方*6しますけど、【1】の人間も、優秀な人ほど【3】にポジション取りが近くなると思うんですよ。
というのも、「毒まんじゅうを喰らいすぎると、却って自分たちの立っている社会を弱めてしまう」ことを痛感するから。
地域社会を見渡してみると、得てして【1】から【2】に移行せんとする人が目につく。それも嬉々として。
だから毒まんじゅうは食いたくない。けど、どーしても、補助してほしい点は残る。
地方のことを考えたら、「真のエリート」*7は、「クリティカルな補助金以外は出来るだけ受け取らないように努力する」ように地元をなだめすかせて、パーキンソンの法則*8に則って自己増殖しがちな身内を押しとどめる人なんだと、僕は思うんですよ。
* * *
いま「ネオリベ」って呼ばれている人って、【3】と【4】の集合体を指してそう呼ばれてるような気がしてならないです。
でも、僕からすれば【3】なんて【4】に比べればはずいぶん良心的。
だって彼らは「労せずにカネを得ること」に批判的なのであって、「労してカネをかっさらっていく」ことに対しては批判を手控えるから。
それは彼ら自身が同じようにカネを獲得してきたって経緯があるので、競争による利益の享受は批判しにくいという事情が多分に大きいのだと思います。
結果として「ソト」の暮らしを破壊することはあっても、「ソト」の生活様式そのものを否定しているわけではないぶん、話はまだ通じるのかな、と。
【4】になっちゃうとねぇ、「田舎」の存在自体が目障りって言ってるよーなもんですから、なかなか対話は難しいっすよね。
ただ、そう考えちゃう気持ちも分からなくはなくて、ニッポン全体を流れる血液そのものが減少していくことが強く予期されているなかで、血液が自分のもとに循環してくるペースも落ちてくるだろうと考えれば焦る気持ちは誰しもあるでしょう。
で、突如「憂国の士」となって「全体のためには一部撤退やむなし」とか「天下国家」を論じちゃう*9。
ちらほらこういう人を散見するだけに、ちょっと危惧を抱いているのですよ。杞憂ならそれでいーんだけど。
僕らは集団の「ソト」との殴り合いから逃れられない(2)
社会学者の宮台真司さんは最近、「優秀で共同体思いのエリートを育成する競争」ということをよく唱えていて*1、その考え方自体は僕も肯定的に捉えているのだけれど、
そうして育成された「特定の共同体」にコミットするエリートは、自分が代表*2する共同体のために、ソト=他の共同体に「暴力」を振るうことになるんじゃないか?
なんて「頭の中では」考えたりする*3。
このあたりを宮台さんは
共同体同士が、優秀で共同体思いのエリートを育成する競争を通じ、非ゼロサム的に切磋琢磨する社会です。
という表現でクリアしているのかなと思ったのだけれど、そのように理解するためにはひとつ、「共同体思いのエリートが自身が代表する共同体のために採る戦略は、他所の共同体であれ、共同体破壊的なものにはならない(あるいは、そんな戦略は「共同体想い」とは呼ばない」)」というジャンプが必要になる気がしていて、僕は考え込んでしまう。
僕には関わっていきたいと感じる「共同体」があって、そもそもそう感じてしまったのが高校生活を通じて彼が言うところの「プラグマティックな教育実践で負債意識を埋め込」まれたからに他ならず、もっと言ってしまえばその契機自体が高校に彼が講演会に来た、あるいは講演会に彼を呼んだ恩師に依るもので*4、ここに彼の主張を真に受けて、「埋め込まれちゃった系男子」が誕生したという由来もあるのだけれど、その話はさておき。
* * *
前回のエントリで引き合いに出した田舎町の例は、僕がコミットしたい共同体*5を説明用に抽象化したものなんだけど、例えば「あの町のために」僕が戦うとすれば、どうなるだろうか。
さくっと考えた例だけど、「共同体想い」という考えを「<生活世界>を支える」という目標に読み替えたとして、
まず(例えば)
「共同体が“回る”程度の人口維持、人口構成」だったり
「貨幣で全て購わずに済む生活リズムあるいは共同体内での“お裾分け”関係の尊重」だったり
「自然を持続可能な範囲で利用しながら暮らす生活観の継承発展」だったり
という1つ具体的な次元に落とした話を用意し、
それを反映させての
「どのような学歴でも働ける受け皿を町に整備する」
「仕事コミュニティと生活コミュニティの分離回避」
「職場としての「資源搾取的でない農林漁業」の設計」
なんて考えたりして、
もう一歩
「単純作業からオペレーションまで有する、あるいは野戦型指揮官という捉え方」
「職場は住まいのある共同体から分離しすぎないように「週休2日、9時−17時」的労働観からは脱却*6しましょう」
「暮らしを賄える程度の自然利用には「家族経営/お商売」のスケール感を理念的側面で活かしていきましょう」
みたいな話になり、
「じゃあ、それの具体設計はどうしますか」
のように話を詰めていくことが一例として考えられる*7。
そうして生じた「<生活世界>を支えるために生産されたプロダクト(一次産品)」だけれど、競合商品は世に大量に出回っているわけで、そこで「<生活世界>を支えるに足るだけ」の売り上げを確保するため、なんらかの差異なり、プレミアムなりをつけて売り込んでいくことになる*8。
ところが日本人の「胃袋*9」には限界があるので、新たにその町の産品を売り込めば売り込むほど(胃袋内でのシェアを高めるほど)、ほかの産品を押しのけることになる。
でも他の産品だって「ムラを背負って立っている」ことぐらい、容易に想像はつく。
「非ゼロサム的」というのは総和がプラスになる世界だけれど、そのプラスはどこからやってくるのだろう*10。フロンティアは、見えにくいだけで存在しているって、信じてもいいのかな*11。
* * *
できるだけ多くの考え方に愛想を振りまいて主義主張を先鋭化させず大学生活を過ごしてきたつもりだったけれど*12、ここ1年ほど、そろそろ八方美人も潮時かな、僕も何かの価値観にコミットするときかな、という感覚がすごく強くなっている。
けれどその際に、「自分が選び取らなかったもの」と戦うことに対する決心がまだついていなくて、「誰も傷つけたくない」なんてうっかり考えてしまうところは非常に厨っぽくて情けない*13。
・全ての共同体が否応がなしに戦いのリングに引きずり出されている以上、殴り合いに参加しないと共同体の存続がおぼつかない
という冷酷な前提があり
・コミットするリーダー=殴り合いを引き受ける存在すら擁立できない共同体は淘汰されてしまう
という切迫した事由が、
・「共同体のために」殴り合いに参加するリーダーの振る舞いを正統化する
のかなぁ、なんて考えたりもするけれど。
僕自身が、ソトを殴る正当性を希求しているのでこんなまとまらない話になる。そもそも「殴り合いに伴う罪悪感はエリートという立場が有する原罪です」とか言われて済まされそうな話でもあるし。
*1:http://www.miyadai.com/index.php?itemid=950
*2:ちと不正確な表現かもしれん
*3:僕の理解が浅いからかもしれない。大学にいる間に、いつかお話ししてみたい
*4:あるいは、君たちが通っている高校は「金沢の」附属ではなく「日本の」附属なのです、とか真顔で述べていた当時の副校長の影響か
*5:それは具体的な地名を伴って存在する
*6:内山節みたいな話になってきたな
*7:あれやで、さっくりって前置きしたってことは話を詰めてへんってことやで、というエクスキューズ
*8:グリーンだとか、ライフスタイルだとかが分かりやすい例かな
*9:概念としての
*10:ゼロ成長時代しか知らない僕は、日々巧妙化するパイの分捕り合戦をする世界しか知らない、というのが想像力が欠如している大きな理由な気がする。あるいは単なる勉強不足か
*11:余談だけれど、ソーシャルゲーム業界の拡大を「成長(キリッ」とか言っちゃう大学生、なんとかならんのかね。あれ、余暇時間と広告料を他媒体とゼロサムしてるだけやん
*12:それはひとえに、自分は勉強不足だという思いから押さえつけてきたのだが
僕らは集団の「ソト」との殴り合いから逃れられない(1)
とある町にやってきた。人口は1万5千ほど、6,000戸からなる町だ。
主な産業は農業と漁業、県庁のある街までは車で4時間近く要する。
引揚者で人口が急増した終戦直後にピークをつけたこの町の人口は、戦後66年、一貫して減少を続けてきた。
里山から切り出す薪炭材は貴重な現金収入源だったが、薪炭需要は激減し、里山に手を入れる理由は無くなった。
漁業もふるわない。200カイリ設定以降の漁獲高減少に加え、ここ十数年は漁価も低迷している。
基幹作物は葉タバコとコメ。しかし葉タバコ需要は激減した。米価もピーク時の半値になった。
町に流入するおカネは、着実に減少している。
町には高校が1つ。学力に秀でた一部の生徒は、車で2時間ほどの街に下宿をしながら高校に通う。
高校を卒業すると、多くの子は町を離れる。町に残っても勤め口は少ない。
電子部品の工場へ勤めることができれば「勝ち組」。
老人福祉施設は常に人手が足りないが、勤めても手取りは12〜13万円ほど。
役場はどこよりも給料がよいが、勤めるためは才覚以外のものが必要だ。
親の土地を継いで農業を続けることが、
親の船に乗って漁師になることが、
この町では何よりも稼げる手段になる。
* * *
これはフィクションだ。しかし、類似した具体例を見つけることはたやすいだろう。
こうした多くの地域では、町の「振興」に奔走し、「活性化」の方策を模索し続けている。元々僕が属する研究室では農村振興、集落活性化などは研究射程に入っており、昨今は「大学と地域社会との連携」というかけ声のもとに「現場との協業」を求められることも多いため、そうした現場の事例と比較的多く接する機会に恵まれている。
また、その町が育んできた文化や環境を活かし、伝承していきたいという思いを持ち、現場に入って熱心に活動する若い人々も多い。なによりもコミットする人間を増やさねばと、総務省や農林水産省もそうした人間を増やすべく旗を振り続ける*1。
「地域のために」
正義感を持って無邪気に掲げられるこのテーマは多くの問題をはらんでいる。
代表的なものは、「開発の暴力性」。対象地域の変容を目的として働きかけるということは、対象が有する既存の秩序を揺るがすことが不可避であり、それは“それ”に則って暮らしている人の基盤を破壊することにつながりかねないため、地域開発/振興は避けがたく「押しつけ」になってしまい「暴力性」を有している、というものだ。これを僕は、対象の「ウチ=内部」に対する「暴力性」を主に問題とする視点だと捉えている*2。
それに対し、さいきん僕が気にしはじめたのは「ソト=外部」に対する「暴力性」、すなわち、
ある特定集団にコミットすることは、集団の外部と日々、殴り合いのパワーゲームを演じながら暮らすことに他ならないのではないか?
ということだ。(続く)
僕の専門分野は「社会学」? −プレ大学院生の憂鬱
@kingbiscuitSIUさんのポストで興味を惹いたものがあったのでまずはご紹介。
専門分野とか専攻とかが明確に存在する(と信じられる)人が心底うらやましかった。なぜなら、その範囲での「業績」をくまなく誠実に読み尽くしその上に何か加えたり異議唱えたりの過程をまず想定できるから。「書く」ことも同様。〈それ以外〉に心惑わされることをひとまず外道と認定できるシアワセ。
http://twitter.com/#!/kingbiscuitSIU/status/155854474441785345
大学生の僕が初対面の人にご挨拶したとき、結構な確率で登場する質問が「大学では何の勉強をしているの?」。
話の接ぎ穂にも最適だと思われがちなこの質問、質問する側の気楽さとは裏腹に、
聞かれた側としてはすげー答えにくくないっすか?
あるいは、あんまりしょっちゅう聞かれるもんで回答用のテンプレを用意してあるけれど、その回答はどこか核心からズレた、痒いところに手が届かん回答になってしまってモヤモヤが残ったりしませんか?
* * *
僕は一応、「私は社会学を専攻しています(キリッ」って答えることにしてるんだけど、この答えには「社会学って何する学問なの?」っていう二の矢が飛んでくる可能性が結構あるんで、実はあまり使い勝手がよろしくない。
場合によっては「小麦とか大豆とかの国際貿易に関する研究や国内における農業政策なんかを扱ってますね*1」なんて答えることもあるけれど、それは高校生向けに所属学科概要を説明するレベルの大雑把さだし、そもそも僕は経済系にも政策系にも明るくないから、嘘をついてると言っても過言ではない。
* * *
これでも一応大学院にうっかり進学することになってしまった僕だけど、研究の動機っていうか、関心の所在は「“ここ”でみんな楽しく暮らしていく方法はないかなぁ」という大変お花畑な発想を出発点にしている*2。
そのなかで、人が暮らしを営むまさに「ここ」の資源を暮らしの糧に変える農林漁業のありようや変遷に目が向いたり、
あるいは、暮らしを担う構成員が減少し、一次産品の価格が低迷するなか、“ここ”で生まれる工夫や変容に興味を持ったり、
禄を食みながら宮仕えをする暮らしとも、「フリーランス」とも異なる、「お商売」する人の感覚を探ろうとしたり、
足を運んで話を聞けば聞くほど当初抱いていた「ここ*3」への好意は薄らぐなかで当初は心折れるけれど、次第にそれもコミコミの“ここ”の妙味が見えてきたり*4
「“ここ”で暮らすって、どーゆーことなんだろう?」なんて抽象的すぎて教員陣にも説教される書生論を考えて悩んだり、
力になりたい、なんて思ったら別にそんな誰も求めてなかったり、でもニーズが無いからやらなくていいって、言ってしまってええんかなぁ、なんて煩悶したり、
すっかり「観察」に徹しようとしているように見えるよその研究者さんを詰ってはみたものの、でもそれが「研究をする」ってことなんかなぁなどと思い返したり、
始終そんな調子だから、考える対象は「“ここ”で暮らす人たち、あるいは彼らの暮らし」で割と収れんされてる*5んだけど、考えることは四方八方に飛び散ってしまっているので、「農村社会学」とか「農業政策学」とか「農業経営学」とか「文化人類学」のよーなカテゴリで語ろうとすると、あまりにも取りこぼしが多くて、自分としては胸張って答えたくないなって。
この未分類な感じは所属大学のカラーに合っててすっごい好きなんだけれど、正直学部レベルでは、「〇〇学」を先行している他大学の子たちのほうが、圧倒的に「学識」はあるなって、よく思う。サラッと学者さんの名前が出てきたり、学説の論理をちゃんと自分の言葉に置き換えできてたり、そーゆーのを見聞すると、けっこー焦る。東大に行った友人たちを見ていると、特に。
* * *
あんまり手堅いところで手を打ちたくない気持ちと、「研究界隈」に次々と順応していく知己たちへの苛立ちと、このまま「モノ」にならなかったときの恐怖と、自分もどこかであきらめて「この業界で食う」ことを選ばざるを得なくなるのではという昏い予感と。
悩む*6。
「人間力」という名のゆるやか階級社会、はじまる。
昨年末あたりから就職活動を始めた友人の家を訪ねたときの話。
僕は昨年、就職活動をチョロっとやってサクッと弾切れして即終了した*1クチなので、シューカツしている彼に偉そうな訓示を垂れることはできないのだけれど、それでも「説明会めんどい」だの「ESのネタが思い浮かばない」だの、そーゆーグチの相手くらいはできるだろうと思ってシューカツ界隈の話をしていたのだけれど。
彼のグチが、どーも他の就活組と毛色が違う。
「就活しんどい」関係のグチで他に代表的なのは、「こんなシューカツの仕組みおかしい!」とか「ハイテンションな自己啓発を強要されるのはいかがなものか!」という類のものだけれど、曲がりなりにも洛北の一隅から旧帝大に通っている身分なので、そうした話は「避けようと思えば避けることができる」*2。
では彼のこぼす愚痴はなにか、というところだが、以下に彼の言葉を引用しよう。
「随所で喧伝される「人間力」って、「文化資本」って言葉を置き換えただけに見えるんだけど」
「それって、言い回しはソフトだけど階級社会の始まりじゃん」
彼はのスペックを一応紹介しておくと、これといった趣味も無く、特にやりたいことがあるわけでもなく、コタツに刺さってtumblrをリブログするだけの毎日を過ごすよーな、どう過大評価しても「意識が高い学生」からはほど遠いが、それでも圧倒的な「地頭の良さ」を武器に数万人を動員するイベントサークルで陣頭指揮を執り続けた法学部生(男)である。コミュ障ではない。
俺は、地頭のよさを武器に大学に入るまで調子良くポンポンやってきた、と彼は言う。
「だけど、就活は地頭以外のことを問うてくる」
「よく槍玉に挙げられるコミュニケーション能力()なんてのは、ありがたいことに俺にとってはさして問題じゃない」
「困るのは、スキューバダイビングを趣味にしてるとか、幼少期から音楽に親しんできたとか、伝統文化を大切にしているとか、そんなことが暗に聞かれていることなんだ」
一見して、教育社会学者・本田由紀さんが提唱するところのハイパーメリトクラシー*3ってヤツにそっくり当てはまるようにも思える。
ところが彼は、問われているのはもっと露骨な「文化資本」だと言う。
「そして、俺にそれはない」
「俺はいわゆる「上流の文化」に羨望のまなざしを抱くわけではないが、それ=階級を超克できるのが近代の発明した「学校」という回路じゃなかったのか」
彼は折に触れて「意識の高さにかかわらずパフォーマンスが出せる人材がこの世には存在している、ってことを企業人事は忘れてるんちゃうか」とぼやく。
彼のような存在は稀なのかもしれない。
そうした人間を選抜する方法に力を注ぐより、意識の高い(そして彼の言葉を借りるなら文化資本を蓄えた)学生を選抜する仕組みを採用するほうが、トータルでの採用のコストパフォーマンスがよいのかもしれない。
そう、人材のダイバーシティなんていうのは、「ご趣味は?」「私はお花を少々」「僕は音楽鑑賞*4」「俺はスポーツ*5」という界隈における括弧つきの話であって、「(小説を指しての)読書です」や「(J-POPを指しての)音楽鑑賞です」なんて言っちゃうヤツは「お呼びでない」のだ*6。
*1:10社エントリーして、7社受けて、2社は書類で切られて、2社は一次面接で落ちて、某Rの関連会社は数回大阪に呼ばれて落ちて、某繊維に強い総合商社には4日連続で大阪に呼び出されて落ちて、某広告代理店は東京まで呼び出されて汐留本社で説教されて落ちた
*2:むろん、ナチュラルに“ハイテンション”なボーンヘッドは学内に多数存在する
*3:基礎学力とゆーメリトクラシーでポンポンと階段を上ってきた人間が、積極性、創造性など、基礎学力以外の側面=ハイパーメリトクラシーで評価されるフェーズに突入した途端、失速してしまうという類の話だ
*4:当然ご自身も楽器をたしなんでおられることが前提である
*5:七大戦、という旧帝大体育会での対抗戦があるが、あのブルジョワ感はすさまじい
*6:ここまで書いて気づいた、これってジョック・ヤングの『後期近代の眩暈』そのものやん
パイを増やす人とパイを分ける人と、パイを増やしている気になっている人
年末あたり、「パイを増やす人とパイを分ける人」というエントリがひとしきり話題になった。
無批判なお追従*1から的外れな批判まで、ブログのコメント欄(やtwitter上)は大変賑やかになっておりましたが、筆者の@Lilaclogさんご本人がAbout meで言うてはるよーに、ブログ記事は“問題提起がメーン、趣味半分の仮説ベース”で書いているようなので、そのスタンスからすれば十分全うな内容だよなーなんて思いつつ僕は読んでました*2。
内容はエントリのタイトルそのままで、「世の中の仕事をざっくり2つに分類したときに、パイ(=マーケット)を拡大する仕事と、パイの配分方法を変える仕事の2つを考えることができるよねー」ってことを、例を挙げ、手を替え品を替え、説明しているよーです。
普段は人様のエントリなんて読み流してふぁぼってポイ、ばかりだったのだけれど、これが頭に残っていたのは、ちょうどこのエントリが世に出る10日ほど前、似たような話を僕も友人にしてたからなんですよね。
こう書くとどれだけ偉そうな後出しジャンケンだよって感じだけど、
「例えば、居酒屋市場の規模は一定のままで、養老乃滝が押さえていたシェアをワタミが奪取することでワタミが売り上げ伸ばしたとして、そのときワタミが「成長だ!」ってドヤ顔するのって、つまんなくね?やるなら、老若男女年がら年中居酒屋に来店させてケツの穴まで毟り取る「ような」、パイを増やす仕事したいんだけど」
っていう話をしていたのだから、優良誤認とまで誹られることはなかろーて。
なんて話はさておき、件のエントリにせよ、僕の下世話なたとえ話にせよ、僕が面白いなーと興味を惹いているのは
1)マーケットの存在を所与のものとして参入し、収益を上げるモデル
と
2)マーケットを作り出し、そこに参入してくるプレイヤーからフィーを徴収して収益を上げるモデル
の2者、仕事してはる人でも案外自覚的じゃないなー、ということなんスよね。
1)と2)の関係を具体化すると、「門前町の茶店とお寺」「ビジネス街のFedExと三菱地所」みたいなもかなーと僕は思ってるんです、よ。
門前町の茶店は「そこに、人がいるから」店を出してるわけで、荒涼たる草原に出店する気は、おそらくない。
FedExも、自社のサービスの魅力があれば根釧台地のど真ん中に出店しても人は来る、と思ってはいないと思う。
ミクロに観察すれば、門前町の茶店だってライバル茶店と集客を巡って激しいつばぜり合いを繰り広げているかもしれないし、FedExだって日々サービス向上に努めていると思う*3。けれど彼らは、寺社や三菱地所が集客した人間の分捕り合戦をしているだけで、露悪的に言えば「おこぼれに与っている」。
大抵のお商売なんて、どんな大企業だって、より一回り大きい「大樹」の陰に寄り添って暮らしているんだし、「人が集まる肥沃な牧草地を作る」のは並大抵のことじゃないから*4、「おこぼれ」に与ることそのものを僕は否定しない。むしろ、分配時にたくさん分流することで社会は賑やかになるから、人がしはるぶんには全然ウェルカムだ。
僕がいけ好かんと感じるのは、「おこぼれに与っている」「人が育んだ肥沃な土壌の上に立っている」ことに気づきもしないで、穀物を根こそぎ食い尽くすイナゴの大群みたいな商売してるのに、「新しいビジネスモデル(キリッ」とか「成長せんりゃ(ry」とか嬉々として言ってしまう、だっせー「ビジネスパースン()」の、その心性でしょーか。
割と偏差値の高い学校に通わせてもらってたけど、就職を決めた同級生の多くはだっせー奴ら予備軍にしか僕からは見えなくて、昨今勇名を馳せる「意識の高い学生」はいったいどこにいるのかと、会いたくて会いたくて零下2度の京都盆地で僕は震えてる。
*1:しかし、どんな世界にも“取り巻き”という生き物は棲息しているようで、面識もないアルファブロガーやアルファついったらーの一挙手一投足に賛辞を贈る、屁の突っ張りにもならんよーなモブまで可視化されるウェブ2.0って結構煩わしいよね
*2:「ブログは趣味。仕事みたいに詳細に調べていない」っていう彼女の姿勢が僕のそれと同じ、っていう面は大きいよね。つかさ、自分で責任を引き受けるしかない言葉を紡ぐ環境におかれている「凡人」がさらっと文章書こうと思ったら、そのスタンスしかとれないんじゃないかと思うんだけど
*3:と書いたけれどあんま自信ない。京都FedExの素っ気ない応対が僕のなかで大きくマイナスイメージ
*4:それでも、それを志向してしまう
40代の方々は古市さんの主張をガチで理解できていないのではないか
年明けから毎日新聞朝刊で「リアル30’s」という連載がスタートしている。趣旨としては
「失われた20年」に青春期を過ごした世代が今、30代を迎えている。仕事、結婚と岐路に立たされる年齢だが、社会は閉塞(へいそく)感に覆われ、どんどん生きづらくなっている。誰のために、何のために働き、生きるのか−−懸命に考え、悩み、迷う30’sを追う。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20111231mog00m100009000c.html
ということらしい。なーんだまたロスジェネ話かと一瞬食傷気味にもなったけれど、一読したところ、取り上げるターゲットは“社会人として働くポストバブル世代”全般にわたっているので実際には20代後半の人々も含まれている模様。
話のベースになっているネタは明らかに古市憲寿さんの『絶望の国の幸福な若者たち』。
一応、古市さんの主張から記者さんがインスパイアされた面をかいつまんで説明おくと、
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ここ10年程で社会に出てきた世代っていうのは、物心ついた頃から景気が悪い景気が悪いとやたら喧伝されていて、父ちゃん母ちゃんの世代の表情はどこか陰りがあって、みたいな状態からデフォになってるわけだけど、そいつらのライフスタイルは、どーもそれまでの「若手社会人」のソレとは様相が異なるらしい、と。
ブランド品買い漁ったり高級レストラン()でディナーをキメたり外車乗り回したり、なーんてことはせずに、「週末は友人宅で鍋」をして、「買い物は郊外のイオンモールやコストコなど」で済ませ、「オンゲやSNSでの交流に盛り上がり「外交的」でない」暮らし方をしていて、しかもそれで結構満足しているらしい。
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てなところでしょーか。
07年頃の「草食系男子」以来着々と外堀が埋め続けられてきたこともあり、最近このテの言説(=いや、今の暮らしケッコー楽しいっスよ、的な)がやたら目に付くようになっているのだけれど、僕は当初、(古市さんも含めて)その主張の意味が分からなかった。
理解ができないとか実態に即してないとかって言いたいんじゃなくて、「何を当たり前なことをこの人は言うてるんだ」って思ったから。
つまり、僕にしてみれば、「週末は友人宅で鍋」をして、「買い物は郊外のイオンモールやコストコなど」で済ませ、「オンゲやSNSでの交流に盛り上がり「外交的」でない」暮らしはあまりにも当たり前すぎて、今更語るほどのことだとは到底思っていなかったからだ。
付け加えて言うならば、“ブランド品買い漁ったり高級レストラン()でディナーをキメたり外車乗り回したり”なんて振る舞いは当たり前のようにダサいものだと思っていたので、そんな価値観にコミットする人間がいる、あるいはそうした「風習」が諸般の経済的事情により実現しにくくなっていることを残念に思っている人がいるだなんて、思いもしなかったから。
“自明性くずし”を日課とする「社会学者」が書かはる文章ということで、
1)「若手社会人っていうものはこういう暮らしをしているもので、それが実現しにくい現在は昔に比べて生きづらかろう」とか思っちゃってるバブル世代の価値観を崩していく
2)とりあえず自分プラスマイナス10年世代を対象に、認識枠組みとしての言説を供給する
なーんてあたりの効能がこの文章にはあることはまあまあ想像がつく。
ところが、活字に起こされた内容の裏を考えれば、「えっ、バブル世代って、今の僕たちの暮らしを“カワイソー”とか思っちゃってるの?」と、逆に僕(たち)のライフスタイルの自明性が崩されたような気持ちを抱いてしまった*1。
そしてその気持ちは、「絶望本」出版以降に流通しはじめた「オジサマ記者が若者を取材する」テの記事を読むにつれ徐々に確信めいたものになっていく。
記者さん、マジで価値観理解できてないんじゃなかろーか。
それは“「新進気鋭」を目にしたらとりあえず取材する側は戸惑っているor無知アッピールをしなければならない”という、モノ書きにおける一種の定型表現なのかもしれないけれど、それ以外に記者さんの文章を好意的に解釈する術がないくらい、取材記者の文章から困惑がにじみ出ていることが、多いように思えるのだ。
「〜などという新しい価値観を持つ若者たち」という小見出し、「その暮らしの不安定さで、将来は不安じゃないのかな?」という合いの手、「でも、やっぱりブランド品、欲しいとか思わない?」という問い直しetc.
なぜそのような価値観を持つに至ったのか、なんてことは聞けないから*2、記者さんの言葉には「その価値観、本当にそれでいいのかな」と問い直すかたちの聞き方がすごく目につくんですよ。同じ価値観を共有する相手なら、そんな質問はなされずに「なんで僕たちこうなっちゃったんだろーね(笑)」とか「他の世代と比べて自分たちの振る舞いをどう思う?」のように、聞く側と聞かれる側の地平はもっと近いものになっているよーな気がする。
TBSラジオ「文化系トークラジオLife」の第1回、テーマが「バブル」だったのだけれど、そこに街の声として登場したバブル全開のオッサン*3、あれはネタか演劇だと思ってたけど、ガチだったのかと思うとニッポンの40代おぞましい。
追記(2012.1.9)
こんなチラ裏エントリにもかかわらず、思ってもみなかった反響があり大変恐縮しています。。。
自分で言うのもなんですけど、この文章、頭でっかちでオチも弱い文構成だし、何より論がすげー粗雑ですよね。
それでも反響をいただけたのは、話に通底するアイデアに共感いただけたからだと思うんだけど、もちっと人に読まれることを前提に、丁寧な論展開を心がけたほうがいいのかもしれないなーなんて反省しきり。。。
色々修正したい点は多い黒歴史エントリですけど、1つだけ補足。
毎日新聞の「リアル30’s」、僕のざくっとした紹介*4よりずっと広範なことを扱ってます。連載途中だったんであんな紹介しちゃったけど、その後の連載展開を見てかなり反省……下にURL貼っとくんで、ぜひ記事に目を通していただければ。
毎日新聞−リアル30’s
URL: http://mainichi.jp/photo/news/20111231mog00m100009000c.html
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